932

「余の善や他の仏を信じないことを『一心専念』というのだ」と教えられている『一念多念証文』の御文を示せ。

◯「一心専念」というは「一心」は金剛の信心なり、「専念」というは一向専修なり、「一向」は余の善にうつらず余の仏を念ぜず、「専修」は、本願の御名を二心なくもっぱら修するなり、「修」は心の定まらぬをつくろい直し行うなり、「専」はもっぱらという・一というなり、「もっぱら」とは余善他仏にうつる心なきをいうなり。

真宗聖典

P.607(後3)-608(前1)