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「余の善や他の仏を信じないことを

『一心専念』というのだ」

と教えられている『一念多念証文』の御文を示せ。

◯「一心専念」というは

「一心」は金剛の信心なり、

「専念」というは一向専修(せんじゅ)なり、

「一向」は余の善にうつらず余の仏を念ぜず、

「専修」は、本願の御名を

二心なくもっぱら修するなり、

「修」は心の定まらぬをつくろい直し行うなり、

「専」はもっぱらという・一というなり、

「もっぱら」とは余善(よぜん)他仏(たぶつ)

にうつる心なきをいうなり。

真宗聖典 P.607(後3)-608(前1)